夜の闇を、風が、巻いている。


波の飛沫を翻弄して入り江に吹き寄せる風の中に、彼は独り、立ち尽くした。

対岸の道を、数珠繋ぎになった車がのろのろと進んでいる。
時折、風に乗って、声が届く。
どの車からも、へべれけに酔い、わめき散らし、調子っぱずれな歌声が上がっている。
花火を上げるお調子者もいる。

「自由、万歳!!」
「独裁者は死んだ!」
「恐怖政治の終わりだ!!」

ぎりり、と唇の端をかみ締めた。
「お気楽なもんじゃねぇか」

どっと上がった笑い声。
古めかしい馬車まで引っ張り出して、荷台で明々と燃える松明に、人型のものが投げ込まれた。

「地獄でも呪われろ、ゴールド・ロジャー!!」

切り立った崖の上から眺めると、はかない光だが、それに刺し貫かれたように体が震える。

「畜生」

深く被った帽子を押えて、誰も彼の顔を見るものは無いのに、それでも光から遠ざかろうと俯く。

「畜生。バカみたいだぜ」

誰も聞いていないと確信しての言葉は、矛先を向ける誰かが居ないだけに、胸の奥から血を滴らせる痛みに満ちている。

「よう」

まるで気配も動きも感じられなかったのに、すぐ後ろに男が近寄っていた。

「邪魔かよい」
今の今まで、触れるもの全てを切り裂く剃刀の様な雰囲気だった若者は、振り返るや、いきなりあけっぴろげな笑みを湛え、能天気な声を出した。

「別に、俺の私有地じゃねぇんだし。ええとーーーー。あーーーー」
「マルコだよい」
「ああ、マルコ」
知ったことか、とか覚えちゃいねぇと抜かさないだけ、最近の若者にしては出来がよい方だ、とマルコは内心の笑みをかみ殺した。

「ワニの旦那が探していたよい」

思い描ける限りの『怪しさ』を絵に描いて三次元の人間にし、『謀略』が骨格、『冷酷』な内臓、『いかがわしさ』を血管に流して、『胡散臭さ』を神経組織に構築、さらに『凶暴』で皮膚を纏ったとしたら、この男になる、と断言できるクロコダイル。
『サー』が付くからには、クロコダイルが名前で、違う苗字があるのだろうが、誰も気にしないし、聴かされたくもない。
冷たく、まるで瞬きもしないかに見える目に見据えられると、水面に目だけ突き出して忍び寄る鰐に気付いた瞬間の、いたいけなガゼルの気持ちが良く分かる。

「えええーーーー」

地をえぐる『いやだぜぇ』なニュアンスは十分に伝わった。
しかし、全く怯えがないところが、マルコの気に入った。

「オーディションの後にお前の姿が消えちまったから、旦那、お冠だったよい」

そう言いながら、急き立てるでもなく、自分ものんびり腰を下ろすマルコを、ポートガス・D・エースは見下ろした。

なりはすっかり不良中年。
20年前に「バリ突っ張ってましたー」なセンスを、いまだに貫いているところが、そんじょそこらではない。
そういえば、延々と続いたオーディションの間、絶妙のタイミングで飲み物を配っていたり、ともすれば自己主張暴走組を、手際よく捌いていたっけ。
クロコダイルですら、この男には、そこはかとなく態度が優しげ(なのかも?)だった。

「えーーと。マネージャー、さん?」
「違うよい」

海風になぶられる、頭頂部だけ存在する金髪は、思ったより柔らかいらしい。
風に吹き散らされても、毛先が目に入らない位置を探していた年上の男が、思いがけず正面に回りこんできた。

「あの会場に乱入してきたデモ隊の連中から、逃げたのかよい」

疑問になってねぇ、とエースは苦笑いした。
また、それがものの見事に的を得ていたからでもある。


二週間前。

独裁者ゴールド・ロジャーが死んだ。

誰もが思いもしない、突然の死だった。
その長い支配には、様々な形での弾圧があり、この地を覆う恐怖の影となった男。

繰り返される放送に、誰もが口々に不信感だけを表明した。
「あの永遠の独裁者が、普通の人間みたいに『死』を迎えたたって?」
「冗談だろう?悪魔が死ぬはずはないさ」
「いや、この偽放送で、革命分子をあぶりだそうとしているんだ」

全てのテレビ画像を支配する政府報道で、彼の右腕、シルバーズ・レイリーが、天気の話でもするように平然とロジャーの死を明らかにすると同時に、「共和制」への移行を打ち出した。

国民は、驚きに揺れた。
彼らを包む空気が、本当に振動したかのようだった。

「自由」だ、と?

だが、画面に映ったレイリーは、平然と続けた。
自らを新しい「最高指導者」とし、国の安定の為、しばらの間、その地位に付くことを。

20年間、ロジャーの傍らにいた「冥王」は、悠然と頷いたものだ。

「国は、国として存続しなければならない」

そして、レイリーの背後の、巨大できらびやかな部屋に焦点があった。
長きに渡り、ロジャーが国民の前に映像としてだけ現れる時、使われていた「執務室」だ。
そこに集められた軍指導層、国の富裕層、さらに有識者として任じる国民の「代表」達がこぞって彼を支持したところを見ると、実はかなりの間にわたって慎重に根回しをしていたものとも思われる。

それから流れたロジャーの「遺言」で、今度こそ、世界中が凍りついた。

国民の脳裏に恐怖とともに染み付いた男。
世界政府の干渉もはねつけ、どの隣国とも与せず、20年にわたってこの国を支配し続けた。

そして、あの笑い。

「おれの財宝か?欲しけりゃくれてやる。
探せ、この世の全てをそこに置いてきた!」

それから、レイリーの姿が再度現れても、ただ沈黙があるばかりだった。

今のが、遺言?
一体、どういう意味だ。
財宝とは、何のことだ?

誰かが疑うべきだった。

なぜ、レイリーは、この謎の言葉を公開したのか、と。

だが、当然の疑問が生じる前に、異様な熱が世界を包んでしまった。

そんな世界を冷たく見下ろす「冥王」は宣言した。

「この国は、開かれる」と。

すべての夢を探すものに。
全ての夢を追うもの達に。


国を挙げて、まずはそれを示さなければならない。


最高指導者の言葉で、独裁者を失ったばかりの最果ての国は、その道筋を歩み始めたのだ。





「そんでもって、お気楽に文化事業か」
「お前さんだって、ノコノコ釣られてきた口だろうよい」

考えてもみな、とマルコは軽くいなした。

「ロジャーが死んで、この国は一気に内戦に雪崩れこんだって、おかしかぁなかったんだよい。どれだけ不満分子がいたと思う。政府反対勢力、軍、革命軍。学生や科学者だって一端、地下運動をやってたよい。それから・・・」
もごもごと不明瞭だった単語は、「ミュータント」と唇が動いていた。

「世界政府は、なんのかんのと言ったって、ロジャーのおかげでこの国に入り込めなかった」

だが、これからは違う。

独裁者が消滅した後の国は、たいていが悲惨な状態に陥る。
これまで、目の前の巨悪、独裁者に反抗だけしていれば良かった勢力に、当の独裁者に取って代わるほどの力量、度胸、手段はないからだ。
彼らに突きつけられるのは、てんで勝手な方向に走り出そうとしている者達を纏める手段の無い国内だけではない。
彼らをひっくるめて獲物と見る、外からの圧力とも戦わなければならない。
それに気付かず、内戦になっていれば、世界政府には好都合。
元々、この国の豊かな資源を狙っていたのだから。
人民の為に安定を図る、とお題目を唱えて海軍を派遣し、それこそ、あっと言う間に大勝利を収めるか、またはこの国と血みどろの長期戦に突入するか。

その可能性を、もしかしたら短期間かも知れないが、あっさりと摘んでしまったシルバーズ・レイリーの真意は、誰にも読みきれない。
今のところは。

最高指導者は、国をあげての平和的イベントを行うと発表した。
開かれた、新しい国を世界中にご披露するのだそうだ。

世界中が、そしてこの国ですら、そんな未来を信じようと、信じまいと。

そこに、さらにロジャーの謎の財宝だ。
閉ざされた国の、誰からも恐れられた独裁者。
死の間際の、挑戦としかとれない、その言葉。

マルコが溜息をついた。
「究極の兵器だって噂もあるよい」
この国は、揺れる。

俺達も踏ん張らないとな、と、にやりと笑ったマルコが、「また明日な」と手を振って、そのまま庭先から出て行くように崖から足を踏み出した。

「げえっっっ 落ちた!!!???」
慌てて地面に腹ばいになって眼下を覗いてみたが、くるくる回って海に消えていく人体も、海面にたたきつけられた様子も無い。
「・・・・な、なんだってんだ」

訳が分からないことを解明するのは、とてもとても苦手なので、エースは脱力したまま、また対岸のお祭り騒ぎを眺めやった。
時代の変化に、単純に浮かれる者達。
これまで虐げられてきた憤りを、死んだ独裁者のわら人形にぶつけ、
そして怒りと憎しみの対象を探している。

たとえば。
例えば、彼のような。

「畜生」
先ほどのように呟いたが、わずかに苦痛の色が減っている。

さっきの妙なおっさん。

また、あした、と。

そう言った。
だから。
誰かが、彼に約束してくれる言葉は、久しぶりだった。

向こう岸から水平線に目を移すと、海面を滑るように遠ざかる青い光が見えた。
太陽の昇る方に消えていく光は、何かは分からないが、とても綺麗だった。

あしたには、何が起こるかわからないけれど。
それでも、夜が明けて、新しい日がくるなら。

うん。
また、明日。

エースは、かみ締めるように呟いた。





次へ


戻る
topへ