大混乱の真っ只中。
様々な楽器の最大の音量、
お前には必要ないだろう、と、マイクを即座に奪いたくなるシャウト、
工具を振るう音、組み立てられる大道具に、様々な効果のテスト、
さらに、これらの音に負けじと指示を叫ぶ連中まで。
五千人近い人数を収容するホールが、見る影も無い。
「………間に合うのか、これ」
「間に合ったように見せかければ、構うまい」
ゆらーりと、巨大な質量を伴った影が、「所詮、祭りだ」と呟くや、エースの脇を通り抜けて舞台に近づいて行く。
なんと、これだけの喧騒が、彼が通路を歩いてくるにつれ、徐々に静まってしまう。
最後は、舞台で大絶叫している巨顔の男(エースの判断は、まだちょっと付きかねていたが、女だとしたらあまりにも無残だ、という理由で「男」に括ったらしい)だったが、これはまた傑物で、ものすごい睫毛にくまどられた目で、ぎょろりとサー・クロコダイルを舞台から睨み降ろした。
「何の用、クロコダイル」
「お前の練習時間は終わりだ、イワンコフ」
ぬぁんですってぇ、とマイク越しに始まった抗議は、
「お前ほどのアーティストに、プロベは必要なかろう」の一言に、朝陽の中の雪のように消え去った。
楽屋にどうぞと案内する警備員に
「海楼石を嵌めてしまえ」と指示するワニの声は、幸い彼(?)には届かなかったらしい。
舞台上の反響板を、あやうく破壊するところだったエンポリオ・イワンコフが消え、舞台進行はやっと正常に流れ始めた。
次に出てきたのが骸骨としか見えない男(?)だったことに、エースはまたも目を見張る。
「ここって、魑魅魍魎」
耳元で笑い声がはじけた。
「人間以外も大歓迎。正しい大晦日の祝いだろうよい」
「おっさん」
目から大晦日の花火が飛び出す勢いで小突かれた。
「…マルコ」
元気かよい、と、手紙の書き出しみたいな尋ね方が、不思議と違和感の無いおっさん(即座に訂正)、マルコだった。
ここ一週間、あれやこれやで忙しかったらしく、その姿を見かけることが無かった。
それが、妙に寂しかったなど。
口が裂けても言えるエースではない。
だが、自覚していないのが幸いだが、彼の表情は、口に出す言葉よりはるかに雄弁に、感情を語ってしまう。
ミュータント狩りから救い出したものの、影分身でもしたいくらい忙しかったマルコとしては、この若者が一生懸命、色々な、うちに抱え込んだものを自分なりに整理しようとしているのを見て取って、かえって放って置いて良かったかな、などと思っていたもので。
虚勢を張りつつ、そのくせ飛びついて遊びたいとジタバタする子犬のような眼差しに、実際、かなり面食らった。
ごほん、と咳払い。
「ま、ワニの旦那のことだ、ここは放っておいて大丈夫だろうよい」
「あと2時間で、開演だってのに?」
「いざとなれば、冥王が5時間は喋るよい」
新年カウントダウンどころか、ノックダウンだ、の寒いジョークに、笑っていいやら、悪いやら。
「まあ、新しい国になって、国民参加型の新しい年の迎え方ってことで、大晦日コンサートなんてのは、粋だろうよい」
まとめられたくないかもなあ、と思いながら、エースはマルコにくっついてホールを後にした。
「お前さん、出番は」
「あ、俺、出ないんだ」
「へえ?」
「『冥王のご命令で、収支も合わん、やりたくもねぇ大晦日コンサートの出演者が、ただでさえ多すぎる。ましてやクズも多すぎる。今回の失敗で、自称アーティストをずっぱり切り捨てるつもりだから、使えるお前は出るな』って、ワニの旦那が」
聞いたマルコが、体を折って爆笑した。
「さすが、世界征服大魔王だよい」
エージェント、プロモーター、マネージャー、そこらへん全てのタイトルを引っ括って一つに無理やり纏め上げると、サー・クロコダイルがやっている「仕事」になる。
新生なったこの国で、全世界規模に拡張、発信する娯楽をすべて支配する、一見平和な世界征服だ。
「いいのかよ」
エースの脳裏に、テレビ塔の上で巨大なマントを翻して人々をねめつけるクロコダイルの雄姿が浮かんだらしい。
だが、その恐怖の展開も、マルコに、あっさりと「平和ならな」といなされてしまった。
「いつも、どんな新年だったんだよい」
空いている休憩室に潜り込み、今夜0時を回ってもまだ続くコンサートの出演者の為に用意された食べ物を、マルコが検分しながら尋ねた。
「どんなって」
いきなり身構えたエースに、マルコは首をかしげた。
「だから、地方によって祝い方が違うだろう? 肉を食うなとか魚を食うなとか。爆竹で派手にやるとかだよい」
「ああ」
別に、とりあえず祝いの日だろう、と付け加えたが、どうも、この若造はいつも驚かせてくれる。
いきなり攻撃態勢のハリネズミみたいになるような質問か?
「1月1日は、親父が俺を見に来る日だ」
そりゃあ良いじゃないか、と軽く流そうとして、出来なかった。
エースのかみ締めた唇と、握り締めた拳の白さに。
「見に、来るだと?」
「そうさ。俺が、まだ生きてるかどうかをな」
エースの拳から、燃え上がる炎が見えた。
黒い、重金属を溶かし込んだような鈍く歪んだ炎が。
長い年月に積み重ねられた、怒りと憎しみ。
だが、エースの顔に刻まれているのは、深い深い哀しみだった。
「お前の親父って」
「俺の…」
エースの声が割れた。
喉の奥に、焼かれた石を詰め込まれたような苦しさに、全身が戦慄く。
「俺の親父は」
マルコを刺し貫きそうな視線。
「ロジャーだ」
言ってはいけない。
一生、口に出してはいけないと。
ずっと今まで、胃の腑の中で暴れる蛇を抑え込んできたのに。
さあ、どうする。
今まで俺の周りに居た奴らと同じように、ショックを受けて、それから、ゆっくりと広がる憎しみの色を見せるだろうか。
「ロジャーって、あの独裁者?」
かろうじて頷く。
「こないだ死んだ、あいつ?」
他に、いるかよ。
「専制君主で、この国を搾取しまくり、恐怖政治で俺達を弾圧しまくった?」
何を聞いているんだ。
「本当に、間違いなく血のつながり?」
「しつこいな!!!」
エースが爆発寸前だというのに、あっさり流せるマルコの精神力や、まさに驚異。
「勘違いしてないか、確認しただけだよい」
嫌悪でも憎悪でもない、ぱちくり、と見開いた目を向けて、マルコは一言。
「へえぇ」
エースは床に座り込んでしまった。
こんな深刻な、一世一代の告白だというのに。
「笑ってる場合じゃ、ねぇんだよ」
「笑ってないよい」
それでも、すまん、とマルコは素直に頭を下げた。
並んで床に座るスペースがないので、テーブルに腰掛ける。
「…それで?」
「それでって…」
「だから、なんだよい」
今度こそ、エースの顎が落ちた。
「いや、だから、あのロジャーが、俺の親父なんだけど」
「うん。だから、どうしたよい」
もう床には座り込んでいるので、これ以上沈むところがないのが残念だ。
困った。
純粋な若者は、純粋に困った。
「お前はお前だし。親の七光りは、関係なさそうだし」
「七光りっっっ」
エースの声が裏返った。
「お前、ロジャーのあとを継ぎたかったのかよい」
権力が欲しかったか、金権栄華にまみれたかったか、色欲を限界無しに貪りたかったか、と立て続けに聞かれて、フルフルと頭を振った。
「だろうなあ、お前、独裁者の後釜に座れるほどの性格は、備わってないよい」
残念だったな、と肩をたたかれて、地面を30mほど掘り進んで埋まってしまいたい、とエースは本気で願った。
「だって、俺」
ふわりとマルコの腕が回された。
「親は選べないんだから、仕方ないよい」
お前は一生懸命まっとうにやっているんだから、それで良いじゃないか、と。
あっさり言われた言葉が、
あまりに簡単で、
あまりに真実だけを告げていたので。
この言葉こそが、何より聞きたかったものだと気付くには、まだ時間が必要だった。
「だけど、俺…」
だけど、なんなのだろう。
何を受け入れたら良いのか、何を反論したいのか、エースの頭の中は、さっきのイワンコフのシャウトばりにグルグルし始めた。
ええい、もう、と言った感じで、マルコはうつむいたエースの頭を上げさせた。
真正面から、視線を逃がさない。
「お前、ゴールド・ロジャーから、何かしてもらったか」
「してもらったって?」
「お前を苛めた奴を、親戚係累ごと殺してくれたり、学校に行かなくても博士号をくれたり、とかだ」
「んな、無茶な」
「ロジャーはそういう独裁者だ。お前が奴の息子なら、そのくらい当たり前だろう。たとえば、いま、お前は実はものすごい大富豪だったりするか?」
「しねぇよ!!!」
「じゃあ、お前はこの世界で、ただひとり、唯一切実に個人的な理由でロジャーを責めて良い人間だ。そんなお前を、自分がロジャーに抵抗できなかったって理由で責めるなんてのは、愚の骨頂、一顧するだに値いせん!!」
いつもの語尾が無いと思ったら、とても悲しそうな顔でマルコが呟いた。
「かんだ」
「は?」
「言い慣れない言葉で、舌を噛んだよい」
ほら、と赤くなった舌を見せる。
「あんたって」
エースが爆笑した。
「最高だ」
それは鮮やかに、マルコが笑い返した。
「そうか、ありがとよい。いいか、いつかお前が心から愛する女に出会って、その女がお前をロジャーの息子だからって責めたら、その時、初めて悩めば良いさ。そんな馬鹿な女を愛した自分が、あのロジャーから生まれたことをよい」
「あんたって、どうやったらそこまで楽観的になれるんだ」
「そうしないと人生が無駄になるって教えてくれた人がいたからな」
そのままマルコは、ふいと横を向いてしまい、彼の心に立ち入れない場所があることを、はっきりと示した。
ま、ともかく、とサンドイッチを無断で大量に食い散らしながら、
「コンサート後は、打ち上げだ。お前の誕生日を、盛大に祝うことにするよい」
「え、だって」
どうもマルコのテンポに付いていくのは難しいと、エースは頭を抱えた。
「みんなが祝うのは新年だぜ」
「新年は、いつだって祝える」
きっぱり。
え。
ええーーーー
「お前の誕生日は、お前にしか、こない」
だから、みんなで祝う。
そう言い捨てて、マルコはいつもの飄々とした足取りでエースを置き去りにした。
「俺の誕生日」
ぼそり、と口の中で転がしてみる。
誰からも、祝ってもらったことなど、無かった。
ミュータントとしての能力を発現させないよう閉じ込められていた家は、きちんと機能的且つある意味豪奢に作られていたが、誰一人、彼に話しかけるものはいなかった。
みんなで祝うったって
なんて言えば良いのか、わからない
どんな顔をしていれば良いのかさえ
逃げ出してしまおうか、と思った。
気まぐれな若造が、大晦日の夜にいなかったからと言って。
誰も、困るわけじゃない。
誰も探しもしないだろう。
よし。
逃げよう。
そう思った瞬間、どえらくでっかい顔がドアから突き出されたので、ほんとうに心臓麻痺を起こすところだった。
「ヴァナタの誕生日ですって!!!??? なぁんで早く言わないのかしらっっ!!?? 仕方が無いから、ヴァターーシと一緒に歌わせてあげるわよ!!!」
え。
ええーーーー
さあ、さっさと音あわせをするのよ、と首根っこを掴まれて舞台に引っ張っていかれる途中、ものすごく苦虫を噛み潰した顔のクロコダイルとすれ違った。
「特別出演だからと言って、余分なギャラは出さんぞ」
え。
えええーーーー。
舞台の袖に、さらに大掛かりな発火装置らしきものが据え付けられている。
「エースの誕生日だ、派手にいくぞーーー」
いつも不思議な機械を弄っている連中が、にんまりと笑顔を向けてきた。
悪い笑顔、の典型だ。
な、なにが起こるんだ
俺の誕生日にかこつけて
混乱のど真ん中に巻き込まれながら、エースは心臓がバクバクいっているのを自覚した。
こわい。
とんでもない連中じゃないか。
何をしようってんだ
俺の誕生日の祝いに
俺だけの、ために、だ
畜生
とんでもねぇ、や
エースの体の奥から、はじけるような笑いがこみ上げてきた。
心臓の辺りにいつも燃えている炎の色が、それは鮮やかな紅色に変わった。
ハッピー・ニューイヤー
何が起こるか、どんな悪いことが待ち構えているか、なんて。
いまは知ったことか。
こんな目出度い夜なんだから。
明日は、もっと、良い事がある。
明日でなければ、きっと、いつかは。
ハッピー・ニューイヤー。
おめでとう、俺。
ハッピー・バースディ。
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