細かな雪がチラチラと、穏やかな海面に迎えられ消えて往く。
今日の海は、随分と優しく大らかな表情だけれど、果たしてその内はどんなに冷たいだろう。
昨日エースが、その温度を身をもって確かめ、風邪を引いた。





高熱 Side:お世話マルコさん





「こんなモンかね?」

背後から掛けられた声に振り返ると、
ざっと3人前くらいだろうか、山盛りの料理を載せたトレーを差し出された。

「ああ、十分だろい」

眺めていた窓を背にして其れを受け取ると、よろしく、と言ったコックに短く応えて、食堂を後にする。
自分は殊更少食という訳ではないが、とてもこんなには食べられそうにない。血気盛んな野郎達の為のメニューは1人前にしたって結構な量なのだから当然だろう。
あまりの重量にこれが不調時の食事だろうかと溜め息を漏らし、暖められたミルクが零れないよう、ゆるりとした歩調で恋人の眠る部屋へ向かう。


眠っているだろうと静かにドアを開けると、外の気候からは考え難い熱気に触れる。
まだ空は明るいというのに、温度差ですっかり曇ってしまった飾り窓から差す光は淡い。
まるでストーブのようなその熱源は、部屋の中央のベッドに横たえた部屋の主。
自分が世話を任せられているのは、何も恋人だからではなく--そもそもそういう仲である事は気付かれる分には特に構わないが、触れ回る必要もないと思っている--自分以外、今のエースには近寄れないからだ。
昨日から高熱に臥せったエースは、能力をうまくコントロール出来なくなってしまった。
既に多少落ち着いたようだが、その身体の温度といったら凄まじく、迂闊に触れたら火傷をする程。
何処かの阿呆が「俺に惚れたら火傷するぜ」という科白を強要して大事なリーゼントを燃やされた…のは構わないとして。
他にも色んな物を灰にしてしまったのは堪えたのだろう、発火に備えてと水を汲んだバケツやら、万一の時は握りしめるからと海楼石仕込みの銃弾などを強請られて、いずれもベッドの近くに置いてやった。

そっと歩み寄ると、意外にも起きていたらしい。
こんもりと膨らんだ毛布がもぞりと動き、中から覗いた顔がこちらを向いた。

「…飯?」

少し掠れた声と火照った表情は、もしかしたら今よりももっと熱い、そんな時を思わせる。
思わず不埒なものがわき上がる大人げなさを自嘲したのを、どう受け取っただろうか、エースがへらりと笑った。

「ああ、食えるかい」
「ん……っ、大丈夫だ!」

サイドテーブルにトレーを置いてから、起き上がるエースを支えようとすると、触れるなと言いたげに制される。

「おれは平気だよい」
「わかってる、けど…大丈夫、だから」

解っているというのなら、許してくれても構わないだろうに、しかしこんな反応が返ってくる事をおれもまた、解っていた。
申し訳なさそうに眉を寄せてしまった表情に仕方なく引き下がってやると一人で起き上がったので、触れない代わりにと傍らに腰掛ける。
それでも近すぎると感じたのか、退こうかどうしようかと迷うように小さく揺れたエースは、結局そのままの位置に留まった。
その様子が妙に意地らしく、つい口元が緩む。確かに、エースに近い肩がチリチリと熱いけれど、別に構わない。

「ほら、食え」
「うん…いただきます!」

促すと、エースは素直に頷いてサイドテーブルへ手を伸ばした。
さあ、何時も通りとはいかないまでも、病人とは思えない早さで吸い込まれて行くのだろう、と予想して、それを見守ろうと思ったおれは、あまりに意外な光景を目にする。
ほんの一口を口にして、ぴくりと動きを止めたエースは、その一口をゆっくり咀嚼して飲み下し、首を捻った。そしてまた一口、別の料理を口にして、もぐもぐ。
普通の、人の食事の速度だ。

「…エー「マルコ…」

思わず声をかけようとしたところに被さって、エースが口を開いた。
食事の手は完全に止まってしまっていた上に、こちらを向いた表情があまりに悲壮なので、大人しく黙って続く言葉を待つ。

「おれ…もう駄目かもしんねェ…」

いったい何を言い出すのか。
病気はただの風邪だと判明しているし、片手に皿、もう片手にフォークを握り締められていては、いまいちシリアスな気持ちにもなりきれないというものだが、この相手に限っては、食事の途中だということこそが事の重大さの証でもある。
どんな顔をしてしまっているかも、どう返してやるべきかも解らずにいると、何か続けようとしているらしいエースの唇が戦慄いた。

「…なんの味もしねェんだ…もう生きていけねェよ…」

「はァ?」

思わず返してしまった声が、馬鹿にしきったような色になってしまったのは、安心の裏返しなのだから仕方ない。

「なんだよそのカオ!おれにとっちゃ死活問題だ!」
「脅かすんじゃねェよい…ったく」

未だにこの世の終わりみたいな顔をしているエースを見て、深い溜め息が漏れる。
するとさらに傷ついたように眉を寄せるので、今度は、悪かったと呟いて、また溜め息をひとつ。
ぎゅっと皺の寄った眉間を撫でてやると、指の腹に焼けるような熱が伝わる。耐えられない事は無かったが、熱いだろうと騒ぎ出される前に蒼を纏わせた。

「わ…」

目の前にちらつくおれの炎に気を取られたらしいエースがころりと表情を変え、撫でた箇所の皺が消えたのに思わずくつと笑い、もうひと撫でして手を引く。自分の膝のあたりに下ろす頃には、ただの人の手に戻して。

「さっさと治せよい。そうすりゃ戻る」
「…うん」

なんで言い切れるんだとか、絶対だなとか、食らいついてくるかと思ったが、これまた意外なことに素直に頷いたエースは、再びフォークを料理に突き立てた。
味がしないなどと言っていたのに食うのかと視線を向けたおれに構わず再開された食事は、いつも通りに豪快にパフォーマンスのようなそれだった。

「っぷはー、ごちそうさまでした!」
「…よく食えるな」
「ひひ、さっさと治さねぇとな」

黙って眺めて、全てが平らげられてしまったところで、呆れと感心の入り交じった声をかけると、掛値のない笑顔を向けられ、つい目を奪われる。

「…よく食ったな」

治れば戻ると言ったからか。
快復を目指すのは当然の事だが、急に意気込んだ動機が解り易すぎる事が微笑ましく、再び手を伸ばし、今度は生身のままでくしゃと頭を撫でた。柔らかい髪の毛は、肌よりも多少低温なように感じる。
焦ったような声を出して身じろいだエースに子供扱いをするな等と怒る余地を与えない内に立ち上がり、空になった皿を取り上げトレーに載せて扉へ向かう。

「ありがとな!」
「ちゃんと寝とけよい」


背中に投げられた礼に肩越しに応えて部屋を後にすると、扉一枚を隔てただけの廊下は随分と冷える。気付けば大分身体が汗ばんでいたようだ。
腹一杯とまでかは知らないが、とりあえず胃にものを入れたエースは、すぐに眠りについて暫くは目覚めないだろう。
トレーを食堂に届け、ナース達に容態を伝えて、自室に積み上げられた書類を片付け終わっても、余りある程には。


食堂から医務室への道すがら、
義務の為にもエースの様子を振り返る途中に過った考えがあまりに大人げなかったので、先に自室に寄る事にした。
如何に1番隊隊長と言えど、恐ろしいまでに鋭い女達の元を訪ねるには、心を落ち着ける必要がある時もあるのだ。


『まだ熱い事に変わりはないけれど、今日は発火にまでは至ってなかったな。
まぁ、あの調子ならばじきに治るだろう。
食い意地には負けてしまったようだし、
自分しか触れる事が出来ないという状況を少なからず嬉しく思った事は言わずに居ようか。』




<end>

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