「目ェ醒めたか」
ぼんやりと視界に収めていた天井が、自室のものじゃない事は、何となく分かっていた。
かけられた声で、確信、と呼ぶにはやはりいまいちぼんやりした感覚で、やっぱり、と思う。
目が開いているのを見て声をかけたのだろうから、目を覚ましている事は分かってる筈なのに、それでもマルコはそう問うたのは、真っ直ぐ木目を見つめるエースの意識が覚醒しているようには見えなかったからでもあり、突拍子もない行動に出て間もないエースの正気を確かめる皮肉でもあるようだった。
何時の間にかエースは、その2つのうちのどっちだろうか、と考えられるくらいに覚醒して、けれど答えは出さずにへらりと笑い、うん、と答えた。
「…もう少し、無かったのかよい」
今度の問いも、指されているものの心当たりが2つあった。
やり方が、であるなら、他には思いつかなかったのだから仕方ない、と開き直っていながらも、まぁ謝るべきだよな、とも思う。
けれど、プレゼント自体が、であるような気がして
「おう、キレーだったろ?」
最高の物を用意した筈だと、揺るがずに笑った。
マルコが呆れ顔から、何かを諦めたように深く溜め息を吐くのを見て、更に笑みを深くする。
「おれ一人じゃ気付けなかったんだ」
「あァ?」
「ヒント貰った」
「何て」
誰に、と聞かない辺り、
そして内容を聞く表情の渋さからも、
誰が出したヒントかはもう分かっているようだった。
「あんたが、堪んなく惚れてて、焦がれて仕方ねェもの、だって」
そうしてまた笑うと、エースとしては意外なものを見た。
それまで、全てを分かった上で聞いてくれているのだと、そんな気にさせる空気だったマルコが、
全くもって訳が分からないといった風な目をしている。
「なんだよ」
なんだよ、と言われても。何がどうして自分が溺れ死にかけたのか、それを問いたいのが普通な筈だと信じるマルコは更に言葉を失う。
マルコの絶句、というのもまた新鮮だったので、立て続けに意外なものを楽しんだエースは、ひどく満足した。
それから、伝わっていなかったのなら悪かったかも、と、すこし申し訳ないような気がしてきて、エースは種明かしを始める。
「海だろ」
短く言い切って、真っ直ぐに見つめる。
マルコはまだ口を開かないけれど、しっかりと視線を返されて、足りない言葉の続きを待っているのだと分かる。
「あんたが、焦がれて仕方ねェもの。そうだろ?海賊だもんな」
マルコは、否定せず、からといって肯定もせず、少し眉を顰めた。
それから少しの間を置いて
「サッチのヒントが指すもんはそれだと思うかい」
「サッチが指したの、なら、…違うかも?」
「それが正解だとは?」
「うーん…それが正解だとしたら」
だとしたら、という言いように、ほんの微かながら、マルコの眉間がぴくりともう一段階寄せられた。
偉大な父と、家族と受け入れた兄弟達とに対して抱く情を惜しむことはないマルコだが、家族愛と似ていながらも決定的に違う情を注ぐ相手はこのエースのみ。
もっと感情的で、時に醜く感じるほどに深い。
だというのに、当のエースは、そのことを自覚するのがどうにも得意ではなかった。自惚れを恥と思ってのポーズなどではなく、まるで自分が誰かの特別になるだなんて、可能性にすら気付いていないようだった。
今のもまた、そういった思考なのかと思えたのだ。
けれど、マルコのその僅かな表情の変化にちゃんと気付いたエースは、少し目を丸くしてから、照れ臭そうに笑った。
「嬉しィなあ」
なんともまどろっこしいやりとりが続いていたので、エースが不意に素直になって見せたその笑顔はとても眩しいものだった。
すぐに切ないほど自分を軽く測りたがった若者に、辛抱強く大切なのだと教えてきたマルコは、まったくそうした甲斐があった、と、こういう時に強く思う。
「だとしても、さ」
鼻の頭のあたりを指で擦って、エースは続ける。
「海だって、そうだろう?」
真っ直ぐ向けられた瞳に向き合うのに、今度は、何かを探ろうだとか、掴もうだとかする必要は無いように思えた。
だからただ、マルコも真っ直ぐに視線を返す。少しの笑みを乗せたまま。
「どうだかなァ」
「嘘だ、おれは、諦めらんねェ」
「待てよい…お前がそうだからってな
」
「連れて行きたかったんだ」
「危うく死ぬところだよい」
「生きてたろ?」
あっけらかんと笑うエースに、マルコはもう敵う気がしない。
悟ったからだ。きっと、いくら真意を問おうとしたところで、そんなものは端からないのだと。
ただ、能力者の癖に水没事故の絶えないこの男は、そうして死にかける度に、わあ綺麗だ、なんて阿呆な感想を持ち、もしかしたらその度に、マルコに見せてェな、なんて考えていた、それだけ。
そして自分では説明の出来ない心の深くで、悪魔の力でもって引き離されてしまった景色への憧れが、能力者には皆、等しくあるものだとでも思っていて。
自らが能力者であるのに、だから命に関わるというのに、随分と傍迷惑な形であれ、それだけ家族のことを信じていて。
そしてもしかしたら、マルコとなら後悔しないしな、なんてあまりに自分勝手なことまで、考えられたのかもしれない。
「おれ、もうあんたにやるもんなんて残ってねェし」
いつの間にか、自分の全てを渡した気でいるようなエースの言葉が、本気であると知れた。
身も心も、未来も、全部やった。そう言い切る瞳に宿る信念ばかりが、エースだけのものである事がまた、堪らない。
「まだ、貰い尽くした覚えはねェな」
マルコが喉の奥で、くつと笑って距離を詰めると、するりと伸びた腕がその首に絡んで迎える。
「そーだっけ」
再び、笑い合う。
そうして、引き合って、縺れて、沈む。
互いの背に、先刻の蒼が広がる気がした。
<end>
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